牧師 の書斎より その25『かっこいいことにご注意』
   
 

イエスさまの所にかっこいい青年がやってきたことがありました。イケ面であった かどうかは記されていませんが。しかし,彼は,若くしてかなりの社会的地位にあ りました。おそらくは高級官僚であったのでしょう。ですから財産も十二分にあり ました。また,彼のかっこよさは地位や財産だけではありませんでした。彼は思慮 深く,人が求めなければならないことは地位や財産ではないということを悟ってい たようです。そこで彼は,イエスさまの所にやって来てこう質問しました。「尊い 先生,永遠の命を自分のものとして受けるためには,私は何をしたらよいでしょう か」(マルコ10:17) 少々自己中心的な言い回しですが,なかなか鋭い,しかも的を得 た質問です。イエスさまはこの青年に「戒はあなたもよく知っているはずです。」 と言われた後に,旧約聖書の十戒を語ります。するとどうでしょう。この青年の口 から次のような言葉が飛び出したのです。→「先生。私はそのようなことをみな, 小さな時から守っております。」 何とかっこいい答えでしょう。しかし,よくよ く考えてみますと,この十戒を小さな時から守って生きてくることなど誰ができる というのでしょうか。実は,十戒を守って生きることは厳密には誰もでき得ないの です。それなのに,彼はわかっていませんでした。見えていませんでした。自分が 如何に罪深いものであるのか,そして,このときイエスさまが期待されていたのは そのようなかっこいい返事ではなかったということが・・。

先月の礼拝で,ペテロが湖で沈みそうになったとき「主よ。助けてください」と叫 んだ聖書箇所から,一見かっこわるいこのペテロにはすばらしい信仰があった,と いうことを私たちは学びました。そうです。真実な信仰者はけしてかっこよくなど ないのです。一方,かっこいい信仰告白には偽りがある。聖書はそのことを鋭く教 えています。ルカ18:9からのイエスさまの譬え話はその代表的なものです。ここに 出てくるかっこいい人はこう祈りました。「神よ。私はほかの人々のようにゆする 者,不正な者,姦淫する者ではなく,ことにこの取税人のようでないことを感謝し ます。」

私が元所属していた団体で,外国にある神学校に入学するためにいろいろな方に経 済的支援をいただき,たくさんの方々に見送られながら出発していった若手の牧師 がおりました。彼は出発して2日目,突然私に電話を入れてくれました。そこで, 私は嬉しくなって「どう?そっちは?」と言いましたら,こういう返事が返ってき ました。「すいません。実は向こうの空港で入国できずに,今,成田空港にもどっ て来たところなんです。」「ええ・・」と,私は絶句するしかありませんでした。  何というかっこわるさ・・。しかし,この方。今,すばらしい働き人となってお られます。

  かっこいい信仰には注意しましょう。私の牧会経験からもかっこいいことを言う信 仰者は信用できません。むしろかっこわるくいつも失敗しても尚「主を助けてくだ さい」と叫びつつ前進してゆく,そういう真実な信仰者を私たちは目指すべきであ ると思います。 (もっとも私の場合は,かっこよくしたくともできないので,か っこわるいことを目指すしかないというのが本当のところなのですが・・)


牧師:北澤正明