牧師 の書斎より その24『美しい花が咲くために』
   
 

昨年の夏の暑さは実に厳しかった。そう思ったのは私だけではないと思います。いろいろな気象記録を塗り替えました。そして,今度は冬。夏があんなに暑かったのだからきっと今年の冬は暖冬に違いない。そんな勝手な期待はどこへやら,最近の厳しい寒さは多くの人をがっかりさせています。今年の冬,これまた実に厳しい毎日です。

ところが,今度は来るべき春について,専門家たちが嬉しいことを言っています。「今年の桜は期待できそう」 ご存知の方も多いと思います。それは,今年の冬の寒さが厳しいからなのです。そうです。専門家は,桜は冬の寒さが厳しければ厳しいほど美しい花を咲かせることを知っているのです。

そう言われてみると,寒さの厳しい東北の桜の美しさは,私の知っている中部の桜や関東の桜とは比べ物にならないほど美しいものです。7年ほど前,丁度満開の弘前城に行ったとき,私はその美しさに一種の興奮状態に陥って,一瞬気が変になるような,そんな感覚に襲われました。その時,私は「これはすごい!圧巻!桜の花が正に僕を圧倒してくる!」そこにいなかった妻にこんなメールを送ったのを覚えています。(ちなみに,これを受け取った方はもうすっかり忘れているようですが・・)

ところで,今,私たちはこの厳しい寒さをどのような気持で受け止めているのでしょうか。「忌わしい。このような寒さはできれば避けたい。寒い冬などなぜあるのだろうか,こんな厳しい冬はいらないのに・・。」そんな思いになることが多いのではないでしょうか。

しかし,聖書には,この世界の造り主のその摂理は,「厳しい冬あっての美しい春であること」を教えています。厳しい経験をし続けながらも,造り主を信頼しつづけた使徒パウロは,ローマ5:3-4でこう語っています。「患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し,忍耐が練られた品性を生み出し,練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」

私は,水野源三さん,星野富宏さん,三浦綾子さんこの方々の神さまの愛に満ちた言葉,その愛にあふれた生き様を知れば知るほど,このようなすばらしさはどこから来たのだろうかとよく考えさせられます。そして,この方々の長く厳しい闘病生活,寝たきりの日々,重い身体的障害,このような長い冬のような日々があったことが大きく影響していることは間違いないと思うのです。そして,信仰故に,その長い冬のような経験が,すばらしい逆転勝利の証を生んでいったのだと思うのです。

詩篇119:71「苦しみに会ったことは,私にとってしあわせでした。」信仰は単なる逆転を生み出すだけでなく,大逆転を生み出すことができる。この方々はそのことを証しておられるのだと思うのです。そうです。私たちは人間の欲することを神さまに求めるという祈りはもうやめて,人知を遥かに超えた神さまの恵みを受けとめることができる信仰を祈り求める者になってゆこうではありませんか。


牧師:北澤正明