牧師 の書斎より その21『暗闇も光も同じことです』
   
 

本を読んだり原稿を書いたりすることの多い私は,健康を考えて夕刻になると, 約一時間のウォーキングを自分に課しています。ところが最近この課題を結果的 に実行できない日が増えてきました。原因ははっきりしています。思っているよ りも日の落ちるのが早いのです。そのために夕刻のウォーキングの機会を失って しまうことがあるからです。「それなら夜歩けばいいではないか」とお思いの方 がおられるかもしれませんが,やはり,夕陽を浴びながら歩く道と,闇の中を恐 る恐る歩く道とでは,それはそれは大きな違いがあるのです。私たちは本能的に 「闇を避けようとする」生き物なのかもしれません。

さて,私たちの人生には,歩きたくはなくとも,暗い夜道を歩まなければならな い時があります。キリスト者も勿論,例外ではありません。ある方は長い夜道を 歩き続けなければならない状況に置かれます。私たちはそのような時には,ふと 心の中で「おかしいではないか,不平等ではないか」と思い,神さまに叫びそう になります。(このような時,聖書は「叫ぶことはいけない」などと教えてはい ません。いやむしろ神さまに向かって叫ぶことを奨めています。)

ところで,詩篇の139:12には大変興味深い言葉が記されています。「あなたにと っては,闇も暗くなく,夜は真昼のように明るいのです。暗闇も光も同じことで す。」ここには,夜道を昼間と同じように喜びつつ歩む人の姿が詠われています。 なぜ,この人にとって,暗闇は光と同じなのでしょうか・・。そうです。ここに 詠われているこの信仰者は,その暗闇が神さまの愛に包まれた暗闇であると知っ ているからなのです。

私たちの先には,世の人々が正に暗闇の中の暗闇として恐れている死があります。 しかし,キリスト者である私たちは,その死後の世界もまた私たちを愛してやま ない神さまがご支配なさっていることを知っています。詩篇139:8には,こう詠 われています。「たとい,私が天に上っても,そこにあなたはおられ,私がよみ に床を設けても,そこにあなたはおられます。

初代教会の指導者,使徒パウロ先生は,ピリピ4:12でこう語っています。「私は あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」 つまり,牢獄に閉じ込められ ていようと御殿で暮らすことになろうと,迫害を受けているときであろうと賞賛 を受けているときであろうと,重い病気のときであっても健やかなときあっても, 私はいつも感謝にあふれている。そう言い切っているのです。

私たちの信仰は完成に近いパウロ先生の信仰と比べればまだまだでありましょう。 しかし,そんな弱い私たちにもまた「暗闇も光も同じです。」と,小さな声で信 仰告白できる信仰が今日与えられている。 これは大変な恵みではないでしょう か。この年の暮れに,もう一度,この恵みに与っていることを思い出し,この恵 みをお与えくださった神さまに感謝しつつ新しい年を迎えていこうではありませ んか。


牧師:北澤正明