牧師 の書斎より その18『○○力』
   
 

渡辺淳一著「鈍感力」という本が,未だによく売れているのだそうです。 「鈍感力」,なかなか味わいのある言葉です。この世でダイナミックに活躍する には確かにこの鈍感力は欠かせない力なのかもしれません。

では,私たちキリスト者が,主の栄光を現わす良き証し人である為に持っていなければならない力にはどのようなものがあるのでしょうか・・。そういう視点で聖書を読み直してみると,特に,新約聖書の手紙の中に,私たちキリスト者が身に着けるべき○○力について沢山語られていることに気が付かされます。

先ず,「感謝力」。もし,この力に富んでいたら,私たちは,どんな時にも,どのようなことがあっても,すべてのことについて感謝している柔和な人と,なれるのではないでしょうか・・。このような人物が,私たちの近くにいたとしたら,その人は,不平,不満,つぶやきに充満したこの世にあって,正に世の光です。
次に「信望力」(辛抱ではありません。)主を信頼している故に,今はどのような状況に置かれていても,主の時がくるまで静かに待ちの望んでいける力です。
「廃棄力」いつの間にか抱え込んでいた己の古き考えを頑なに保持しているのではなく,いつでも軽々と捨て去ることが出来る力。「寛容力」(あるいは受容力)様々な特質の隣人を拒むことなく,受け入れてゆくことの出来る力。
「委任力」己の考えや思いをいつでも退かせることが出来,主に一任出来る力。「自己直視力」己の醜さ,弱さ,足りなさ,小ささをいつでも直視している力。「静聴力」深く静まって,主の細き御声を聴くことの出来る力。「怒遅延力」怒ることを己自身で遅らせることが出来る力。など等。

ところで,まだまだ若いと思っていた,小生も,いい年になり,最近は衰えを認めざるを得ない出来事がちらほらと起こってきました。そして,日増しに「夫婦力」のありがた味が身にしみるようになってきました。これは,小生に「自立力」がないという証なのでしょうか・・・。

ピリピ1:9-10「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって,いよいよ豊かになり,あなたがたが,真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。」 


牧師:北澤正明