牧師 の書斎より その14『やっとかめだなも』
   
 

関東で生まれ育った私は,何故か中部地方で奉仕することになり,たいした働きはできませんでしたが,結局24年間もそこにおりました。今は故郷に戻ることが許され,古巣の教団にも戻ることができて,本当に幸せいっぱいです。
しかし,ふとしたことで名古屋のことを懐かしく思うこともあります。
特に,名古屋のお国言葉と食べ物は,なかなか味わいが深いからです。
食べ物のことはさておき,名古屋弁で私が一番好きなのは「やっとかめだなも」という言葉です。ある日,この言葉を実際に生活の中で使っている人たちを見つけるためにわざわざ名古屋の下町に出かけて行って,おばあさんたちのおっかけをしたほど,私はこの言葉が大好きです。

なぜそれほどこの言葉が好きなのか,理由は2つあります。

第一の理由は,この言葉の温かさです。名古屋の優しいおばあちゃんがこの言葉を使うと,まるでこう言っているかのようです。→ 「あんたに会いたかったんだがねえ。会いたくて,会いたくて,でもなかなか会えんでねえ・・・でも,こうしてやっと会えたでねえ。どえりゃあ嬉しいがねえ」(標準語訳:お会いしたかったです。お会いしたくて,お会いしたくて,ずっと待っておりましたが,やっとお会いできました。本当に嬉しいです。)
何かのご事情で教会の礼拝をしばらくお休みしている方がおられて,その方のためにずっと祈りつづけてきて・・そして,ついにその方が礼拝にお見えになられるときがきて,そして,その方と久しぶりにお話できたとき,私は,いつも,心の中でこの言葉が鳴り響きます。「やっとかめだなも!」 このようなときの嬉しい気持ちを表す言葉で,これほどふさわしい言葉を私は他に知りません。

 「やっとかめだなも」という言葉が好きな第二の理由は,この言葉を聞くと聖書の最も大事なメッセージが心に響いてくるからです。
Tコリント13:12「今,私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが,その時には顔と顔を合わせて見ることになります。その時には,私が完全に知られているのと同じように,私も完全に知ることになります。」
私たちが,主のもとに行ったとき,ついに私たちは,私たちを愛し私たちのために十字架に掛かってくださった主イエス・キリストとお会いできるのです。この「やっとかめだなも」という言葉を聞くとき,私はいつもこの復活のメッセージ,再会のメッセージを連想するのです。

私たちは,今,復活節の歩みをしています。主に直接お会いできるその日までは,まだまだ遠い先なのですが・・,その喜びの日を待ち望みつつ,共に祈り合い,励まし合って,一歩一歩前進してまいりましょう。


牧師:北澤正明