牧師 の書斎より その9『私の願いと夢』
   
 

「ユダヤ人は神にしるしを要求し,ギリシャ人は神に知恵を求め,日本人は 神にご利益を期待している。」ある教会の先生はこのようにTコリント1:22を 捩(もじ)りました。確かに新約聖書時代のユダヤ人とギリシャ人は神の 臨在には「しるしや知恵」が伴うと考えていたようです。 そして現代の 私たち日本人の心の奥には,神さまがおられるなら「ご利益が伴うはずだ。」 という考え方が流れているという指摘,これは当たらずとも遠からずでは ないでしょうか・・。

1月の礼拝ではヨセフを学びました。ヨセフの信仰を一言でいいますと, 「大人の信仰」と言うことが出来ると思います。彼の信仰は,未発達の子 どもが,親に次々と自分の欲しいものを求めていくような信仰ではなく, 親の思いを本当によく分って親の支えとなっている聡明な青年のようです。 彼は常に,父なる神のご計画(神の摂理)を見つめていました。自分の気持 ち,自分の願いはいつも後に置いていました。ですから,彼はどんなことが 起こっても,その辛い出来事を用いて神さまがその先に新しいことをなさっ てゆかれる,その時を静かに待つことができたのでした。

ところで,私は最近3つの弱さに直面しています。(少々恥ずかしいのです が思い切って申しましょう。)それは,頭脳の弱さと精神力の弱さと腰の弱 さです。「ああ神さま,この弱い頭と精神力を何とかしてください!」と祈 りそうになるときもあるのですが・・「いや,まてよ」と思いかえします。 そうです。このようなことをヨセフ的信仰をもって考え直してみますと・・, このような私の弱さは神さまにお願いして変えてもらいたいことではけっして なく,それは神さまがこの私にお与えになった大事な特長,恵みであるので す。そういえば,この弱さがあるからこそ私は自分が小さな働きしかできな いことも感謝し,それを喜びとすることができます。そしてこのような思い は,キリスト者として最も大事なことの一つであるように思います。この与 えられている特長故に,私は守られていると思うのです。

使徒パウロはエペソ4章13節からの所でこう語っています。『私たちがみな, 信仰の一致と神の御子に関する一致とに達し,完全に大人になって,キリス トの満ち満ちた身たけにまで達するためです。それは,私たちがもはや,子 どもではなく・・・・波にもてあそばれたりすることがなく,むしろ,愛を もって真理を語り,あらゆる点において成長し,かしらなるキリストに達す ることができるためなのです。』

私は,子どものような純真な心をいつまでも持ち続け,少しでも,ヨセフの ような大人の信仰者に近づきたいという願い,夢があります。愛する皆様, このことの為にお祈りのご支援をお願いいたします。


牧師:北澤正明