牧師の書斎より その5『痛み分け』
   
 

 「痛み分け」という言葉は,元々は相撲言葉でした。 激しい相撲の後,ものいいがつき,協議の結果両者同体取り直しという判定になったとき, 普通は「もう一番」となるところなのですが・・一方の力士が怪我などのためにとり直しが できない状態に陥ったときに,行司さんはもう一方の力士に聞くのだそうです。「どうしま すか」 その時,その力士が「私はやります」と言えばその力士の勝ちとなるのですが・・ しかし,「相手がとれないのなら,気の毒なので,私もとりません」と言えば,その勝負は 「痛み分け」となって,星取表には両者に△の印がつくのだそうです。

 つまり「傷み分け」とは,本来「相手と傷みを分け合う」という意味であったのでし た。このような心温まる「痛み分け」での引き分けは,実際に過去何度かあったようです。 しかし,現代,相撲の世界以外では「痛み分け」という言葉をそういう意味では使いませ ん。残念ながら,一般的に「痛み分け」といえば,両者が互いに傷付け合った場合にのみ 使われる言葉となっています。「互いの傷みを分け合う」と「互いに傷付け合う」は,実 に対照的です。

 日々の歩みの中で,私たちは心の痛みを覚えるときがあります。しかし,その時, その自分の傷みを分け合ってくれる人が近くにいてくれると,その痛みは,すっかり消え ることはないにしても,私たちはけっして倒れ込むことにはならないのではないでしょう か・・。

 イエスさまは,お別れの説教といわれる中でこう語っておられます。「あなたがた に新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたが たを愛したように,そのように,あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34) 

目黒カベナント教会は「痛み分けをする教会」を目指そうではありませんか。もちろ ん,それは「互いの傷みを分け合う」という意味で。 そのような教会,それは△星教会ではなく,◎星教会であると私は思うのです。 


牧師:北澤正明