牧師の書斎より その3『鳩と蛇』
   
 

 鳩の芸をするサーカスをTVの映像で見たことがあります。その時, 解説者はこんなことを言っていました。「鳩に芸をさせるのは本当に大 変なのです。鳩は一つの芸しかできません。新しい芸を教えると前の芸 を忘れてしまうのです。ですから,あんなにたくさんの鳩が必要なので す。何羽位いるのでしょうか・・・100羽位いるでしょうか・・」  そういえば鳩使いの人は,そのショーの中で芸が変わる度ごとに鳩を 忙しそうにとっかえひっかえしておりました。

 新約聖書時代,人々は蛇に対してずる賢い動物というイメージ をもっていました。ですから,「蛇のように」という言い方は,悪いこ とを譬える時に使うのが普通でした。したがって当時の人たちには,創 世記一章の記事などは大変わかりやすかったのではないかと思います。 しかし,イエスさまはこの「蛇」を譬えに使って,「信仰によって生き るとはどのような生き方なのか」について教えられたのでした。このイ エスさまのメッセージには「意外性」と「アイロニー」があります。そ して,その意外性とアイロニーのその中に深い教えが隠されているので す。

 時々「信仰によって生きる」とは「無思慮に生きること」「考 えないで生きること」そう考えている方をお見受けいたします。しかし, これは大きな勘違いです。これでは・・「鳩のように愚か」となってし まいます。それは霊的な信仰というより0的(ゼロテキ)信仰と言うし かありません。一方,ある人は「信仰によって生きると言っても,やっ ぱり現実は人の力に頼ってゆくべきではないか・・」と考えてしまいま す。しかし,これでは単に「蛇のようにずる賢い」生き方でしかありま せん。そうです,イエスさまは私たちがそのどちらにも流れやすい弱 さをもっていることをよくご存知であったのです。 ですから,真に信 仰的な生き方についてこう教えられたのです。「いいですか。わたしが あなたがたを遣わすのは,狼の中に羊を送り出すようなものです。です から,蛇のようにさとく,鳩のようにすなおでありなさい。」 (マタイ10:16)

 私たちの群れは今,会堂建設のために祈っています。言うまでも なく,「会堂建設は,信仰によってなされてゆくべき」です。私は誰が 何と言おうとそう確信しています。みなさんもそうでありましょう。で すから,この御ことば通りに,私たちはこの課題に対して,蛇のように さとく,鳩のようにすなおに考え行動してゆきたいものです。また,恐 れず,喜び楽しみながらこの課題に取り組んでいくべきであると思いま す。祈りつつ一歩一歩前進してまいりましょう。


牧師:北澤正明